山岸秀匡が引退の理由は?経歴の凄さ・口癖まとめ!

山岸秀匡は日本で初めてプロのボディビルダーとして活動を始めた世界的にも有名なボディビルダーです。

今回はそんな山岸秀匡が第一線から退いた引退の理由をまとめていきます。

山岸秀匡の口癖「〇〇なんだけれども」「〇〇だけれども」


山岸秀匡の口癖についてまとめていきます。

口癖


山岸秀匡からたびたび聞かれる口癖がこの「〇〇なんだけれども」と「〇〇だけれども」です。

2021年11月16日配信の動画には山岸秀匡がこの口癖を連発する様子が映っています。

動画は山岸秀匡の著書出版講演で話している様子が映っているのですが、ほとんどの言葉の語尾に「〇〇なんだけれども」「〇〇だけれども」と言っていることがわかります。

最終的には「だけれどもしか言ってないね」とツッコまれ、イベント会社の人のTシャツにも「〇〇だけれども」と書かれるなどイジられていました。

しかし本人は「〇〇だけれども」が自分が頻繁に口にしているという自覚はないそうです。

山岸秀匡が引退の理由は?

山岸秀匡は日本で初めて、プロボディビルダーとして活動し数々の大会やコンテストで好成績をおさめていましたが2022年2月に引退を発表しました。

引退を決意した理由をまとめていきます。

  • やりたいことは全部やりきった。
  • 自分のベストを達成した。
  • 潮時が来た。

ちなみに本人の中では2020年のコンテスト終了時に引退をしたつもりだったようで、発表をし忘れていたとも明かしていました。

山岸秀匡の凄さ

山岸秀匡の凄さをここで改めてまとめていきます。

アーノルドクラシック

山岸秀匡は日本人で初めて2016に開催されたアーノルドクラシック212クラスで優勝を果たしました。

この大会は俳優・アーノルド・シュワルツェネッガー主催の格式高いコンテストです。

大会への参加は大会出場者として招待されることが絶対条件のため、招待されるだけでも名誉なことという大会で優勝したというのは凄さの理由と言えます。

ミスターオリンピア

ミスターオリンピアはプロボディビルダーの最高峰の大会と言われています。

日本人でこの大会に出場できる選手などいないと言われる中、山岸秀匡は2007年から8回も出場し、2015年には世界第3位入賞を果たしました。

メンタルの強さ

プロのボディビルダーは「常に自分との戦い」だと語る山岸秀匡はトレーニングをする上で肉体と同じくらいメンタルも大事だといいます。

そこで心がけていることは、ネガティブな言葉を発しない・あまり深刻に捉えすぎないようにしているのだそうです。

山岸秀匡の全盛期はいつ?

2022年に引退を発表した山岸秀匡の全盛期についてまとめてみます。

  • 2003年IFBBプロ資格を取得。
  • 2007年アーノルドクラシックに招待される。
  • 2007年ボディビル最高峰・ミスターオリンピアの出場権を日本人で初獲得。
  • 2010年オーランドプロで日本人史上初となるIFBBプロコンテスト優勝。
  • 2015年ミスターオリンピア3位入賞。
  • 2016年アーノルドクラシックで他選手と圧倒的な差をつけて日本人初の優勝を飾る。
  • 2019年IFBBダラスプロ優勝。

山岸秀匡は引退を考えるその時までがまさに全盛期で、ストイックに数々のコンテストに出場しトレーニングに励んでいたことがわかります。

山岸秀匡の弟子のコンテストの結果は?

日本人初のプロボディビルダーとなり、数々の世界的コンテストを制してきた山岸秀匡には弟子が存在します。

カイザー豊田

カイザー豊田は、山岸秀匡のYouTubeチャンネルで行われた弟子企画に合格し弟子となりました。

2022年4月9日に開催されたジェイカトラークラシックでメンズフィジークに出場し、オーバーオールで優勝しました。

他にも古田孝一郎さん、松尾誠さんなどの弟子がおり今後それぞれコンテスト出場を控えています。

以上、山岸秀匡のボディビルダーとしての経歴・凄さに関するまとめでした。

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